マイヒストリー

デブでいじめられた子ども時代【下山浩幸 My history #1】

マイヒストリー

私、下山浩幸がどんな人間なのか知って頂きたく
恥ずかしながら、自分の過去をさらけ出しています。

コンサルタントや起業塾の先生という偉そうな仕事をさせて頂いておりますが
なぜそのような仕事を目指すことになったかなども含めまして
包み隠さず、お伝えできればと思います。

今回は子供時代の思い出です

 

かわいい子供時代

私は、昭和42年1967年5月6日横浜市の鶴見で
4歳違いの姉の次に長男として生まれました。

職人気質の酒好きな父親と村長の娘の母という
価値観の全く違う夫婦に育てられました。

その影響で性格が変わっているのかも知れません。

父親は日本通運でトレーラーなどの大型車の運転をしていました。

運転の腕は確かだったようで
工場で生産された新幹線の車両を運ぶ仕事も任されていました。

真ん中に新幹線を載せる台車を置き
前後に分かれてけん引するような特殊な車両です。
ニュース番組でも運転するところが撮影されていました。

そのような関係で夜中の仕事も多く
出張も多かったので、普通の会社員のようには家に居ませんでした。

しかし、仕事が終わり家に帰れば浴びるほど酒を飲む人でした。

母親曰く
「酒がなくなると夜でも買いに行かされたけど、
当時は夜に酒屋など開いていないし、お金もなかったので、
よく大家さんにお酒を借りていた。」
と昨日の出来事のように何度も言っていました。

この酒癖の悪さは、ずっと続き嫌な思いをしました。

私もお酒は好きで、毎日飲みますが、父の姿を見ているので、
酔っぱらって家族に迷惑をかけるような真似は絶対にしないと誓い、
今でもそれは守っています(と思っています)。

幼かった頃の私は、かわいかったらしく(自分で言うな(笑))
テレビコマーシャルに出そうか?という話もあったとか…

今なら、どこかの劇団に入って子役デビューしていたかも知れませんが
当時は、そのようなものは一般向けにはありませんでした。
残念!?

幼稚園や小学校低学年の頃は、祖父も元気でしたので
夏休みに山梨県の甲府の家に遊びに行くと
出来たばかりの富士急ハイランドに連れて行ってもらったり
山梨県の観光地に連れて行ってもらえたりと
楽しい思い出がたくさんあります。

 

 

デブでいじめられた子ども時代

横浜市内の幼稚園、小学校、中学校へと進み、成績は常にトップクラス
毎年、学級委員長を任されるような先生受けの良い優等生タイプでした。

学級委員長を1回だけ逃げたことがありました。

自分で学級委員長にならないように仕組んで保健委員に逃げたものの
その委員会の学校代表になってしまい、仕事が増えてしまいました。

諦めて、次からは学級委員長をずっと引き受けていました。

勉強ができて学校の成績は良かったのですが、
小学校高学年の頃は、太っていてバカにされました。

塾でもバカにする奴がいたので、
塾でも学校でも毎日のように喧嘩をしていました。

昭和50年代、不良がかっこいい時代でしたので
「デブで成績がいい子」だった私は大変でした。

そんなこともあり、かなりストレスを抱えた子供時代でした。

小学生の頃は、両親の祖父母は皆元気でした。

春休みや夏休みになると
父の実家の甲府、母の実家の茨城でよく遊びました。

母の実家は養鶏場を大規模に経営していたので
祖父母と外出することはありませんでしたが

養鶏場なので玉子食べ放題でいくらでも食べろ
海が近いので新鮮な刺身も腹いっぱい食べろ、という感じでした。

今から思えば、昭和の高度経済成長期で
景気が良く、活気があったと思います。

 

コメント