私、下山浩幸がどんな人間なのか知って頂きたく
恥ずかしながら、自分の過去をさらけ出しています。
コンサルタントや起業塾の先生という偉そうな仕事をさせて頂いておりますが
なぜそのような仕事を目指すことになったかなども含めまして
包み隠さず、お伝えできればと思います。
いじめられて大変だった小学校時代から中学生になり
デブの私には無謀だったバスケットボール部に挑戦し
人生が変わりました。
バスケットボールで大変身!
小学校でいじめられていたデブが、中学に入りバスケットを死ぬ気で頑張った結果、人生が変わりました。
横浜市のある中学に入学し
当時もっともキツく、不良も多いと悪名高いバスケ部に入りました。
運動神経のいいワルがモテル
昭和の時代です!
デブでいじめられていたのに、超厳しい運動部なんて無茶な話です。
でも、なぜそんな無謀な挑戦をしたのか?
このままではいけない、自分を変えなくては!
人に負けたくないという気持ちが、とても強かったと思います。
バスケ部では、想像以上の地獄のいじめが毎日ありました。
当時は体罰や暴力が当然の時代で、
先輩の言うことは「絶対」だったので悲惨なものでした。
「夕日に向かって走れば、何でも許される青春時代」
入部すると1年生は全員強制的に坊主頭に。
坊主頭の1年生数十名は、毎日泣きながら、吐きながら、走りこみやら筋トレ(そんな聞こえのよいものではないですが)をさせられ、ボールも半年くらいは触らせてもらえませんでした。
半分以上が部活をやめて人数が減った頃
ようやくゴムボールに触れたのが、本当に嬉しかったです。
(今では、小学生のミニバスでも革ボールですが…)
先輩はしごきまくるので、毎日家に着いたら倒れるように寝る状態。
最初は親も心配するくらいでしたが、持ち前の気の強さとプライドの高さで、なんとか最後まで生き残り試合にも少しは出て、3年間の部活を終えることができました。
私は中学3年間でやっと「デブでいじめられる」立場から抜け出せました!
バスケでスターに⁈もう少しでスラダンに…
高校時代は、私のファンがたくさんいました(ちょっと言い過ぎかな(笑))
高校は学区内の神奈川県立川和高校に入学
中学はやんちゃな生徒が多かったので、毎日ハラハラドキドキでしたが
高校は成績優秀校のため「頭は良いが変わっている人」が多くて面白かったです。
ある友人は、顔を一度見ると忘れないという特殊能力があり、
その能力を活かして、歴史上の人物を、全て顔で暗記して、現役で早稲田に入りました。
それ以外にも帰国子女を隠し続けていたのに、ある日留学生が来て、英語の先生より英語がうまくてバレたとか…面白いエピソードが沢山あります。
高校でも迷わずバスケ部に入りました。
私が入学した当時、10年前に全国大会で2位か3位でした。
そのような全国レベルの上手い人がコーチをしてくれたお陰で、高校ではかなり上達しました。
地区では最強クラスで、神奈川県内でも上位を目指せるチームでした。
当時の神奈川県内バスケ事情は、相模工業大付属がダントツ1位、松陽高校2位で、3位が混戦でした。
井上雄彦先生のバスケ漫画「スラムダンク」は、確か大学で読んだと思います。
当時の相模工業大付属が神奈川王者の海南付属、松陽高校はスラダンでは翔陽高校のチームにそっくりで、井上先生はこの時のバスケを見ていたと確信しています!(私の勝手な想像ですが、、、)
もう少し頑張って県の上位校になっていたら、私がスラダンに出ていたかも分かりません。流川じゃなくて「下山」だったかも~(笑)
ノータイム逆転!伝説の慶応戦
進学校でしたが、関東大会を目指せるレベルだったので、練習は厳しかったです。
何よりも一番きつかったのは、「練習中は水を飲んではいけない」というルールです。
夏場の体育館は蒸し風呂状態。その中で走り続けるのです。
水を飲まなきゃ文字通り死にます。
コーチの目を盗んで、顔を洗うふりをして、水を飲みながら練習していました。
(水を飲んではいけないなんて、今なら大問題ですね!)
素晴らしいコーチとの出会いもあり、バスケが上達しました
太っちょでバカにされていた小学生の頃の面影はすっかり消えて、格好いいスポーツマンになれたのです!
(格好いいかどうかの真偽のほどはご想像にお任せします)
高校時代で忘れられない「伝説の試合」があります。
3年生最後のインターハイ予選、大きな体育館で大勢の観客が見守る中、ある強豪校(慶応高校)との試合。
負けたら現役終了の緊迫した試合で、ノータイム逆転シュートを決めたのです!
多くの観客は慶応が勝つと思っていたので「川和が逆転勝ちしちゃったよ〜」と騒然とした雰囲気になりました。
高校時代のバスケ部の飲み会があると、いまだに後輩から「すごかった〜」「きゃーきゃー言われて、下さんすごかったですね〜」と言われるほど強烈なインパクトを残した伝説です。
しかし、同期から言われるのは、40分間中39分間も得点0で、「最後の一本だけ決めやがった」と今でも文句を言われる始末です。40年近く経ってもです…(笑)
色々な話がありますが、苦労を共にした部活の友人は一生の財産だと思います。
高校では、バスケの球技大会があり、大人気種目でした。
球技大会のために、昼間はクラスのメンバーと毎日練習をする熱の入れよう。
大会当日は「何年何組が優勝するのか?」と学校中が盛り上がるような一大イベントでした。
応援もすごくて、私が負けると泣く女生ファンもいて、青春していました。
バスケを死ぬ気で頑張ることで自分を変えることが出来ました。
バスケで活躍することで、自己肯定感や承認欲求が満たされ、今の私があるのもバスケットのお陰であると言っても過言ではありません。
コメント